2005年の夏、ハリケーン「カトリーヌ」が襲ったニュ−オーリンズのミュージシャンたちの演奏に耳を傾ける。そのCDを聞くと、涙がこぼれる。
中学生のころ、
アメリカにニュ−オーリンズという場所があり、そこで
ジャズが生まれた、と聞いた。ちょうど、「初歩のラジオ」を読みながら、真空管ラジオを組み立て始めたころだった。当時では耳慣れないジャズという言葉に何か惹かれるものを感じた私はずっとニュ−オーリンズを忘れなかった。その後、少年時代のあこがれを確かめるために、私はニュ−オーリンズを訪れてみた。1958年と1991年の二回。
アメリカで最もおもしろい街といわれるニュ−オーリンズは、決して、私の期待を裏切らなかった。二回目の訪問の時も、30年前との隔たりをほとんど感じさせないほど、変わっていなかった。それからもう15年になるが、繁華街バーボン・
ストリートを歩くと、ほかとは違う世界があった。五軒おきか、それとも十軒おきにニューオーリンズ・ジャズを生演奏している
カフェがあり、自由に、何百年も続いて来た
音楽を聴けた。鋭い音色のトランペット、ややしわがれたトロンボーン、弾むようなクラリネット、それに、バンジョー、
ピアノ、ベース、
ドラムが加わったデキシーランド・
スタイル。そこで毎晩演奏しているウォーレス・デイヴェンポートとそのグループのCDだ。その中の一曲、「ニュ−オーリンズ」というタイトルのスロー
バラードを聴くと、哀愁に満ちたニュ−オーリンズの土地柄や人々の気持ちをよく伝えているようで目頭が熱くなる。
サインまで貰ったこのCDなのだが、今となっては、これが私のバーボン・ストリートへの深い想いを揺さぶっている。デキシーランド・ジャズだけがニュ−オーリンズの魅力なのかというと、そうではない。ケージャン・フードと呼ばれるピリリと辛い料理をパティオ(屋外テラス)で味わう楽しみも外輪船という昔ながらの大型ボートでのミシシッピー河の川下りなど、どれもこれも忘れずにいられようか。
あのとき、出会った人たちは、今、どうしているだろう?ジャズを聴かせてくれたミュージシャンも、すらりとした身体のダンサーたちも、眼をクリクリさせた靴磨きの少年たちも、史上最悪の水害の中で、流されなかったか?ただただ、無事を祈るばかりです。
ニューオーリンズが往年の輝きを取り戻すまで、一体何年かかるのだろう。287年もの歴史を持ち、人口50万人の情緒溢れるあの街は、過去数世紀にわたって、多くの洪水やハリケーンと戦って来た。外国からの侵略や北軍の支配などにも乗り越えて来た。現在がどんな状態であるにしろ、きっと、乗り越えられるはずだ。何年かかってもいい。あのバーボン・ストリートの雰囲気を取り戻してほしい。
(原島一男)
初出:MJ「無線と実験」2005年12月号 「オーディオは悩ましい」(2)
誠文堂新光社
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